vol.247 語るべきこと
チロさんからのお便り
・自分のやったことを引きずらないこと
はい、これは。おはようございますか。
今日はですね、8月22日。お盆過ぎましたけども、 今収録はもう9月に入ってるんですけどもね。川口孝さん、チロさんという ハンドルネームもなんかちらついてましたけども、揺れてますね。
『目風様、皆様こんにちは。先日は私の質問に回答をしてくださいましてありがとうございました。そしてすみませんでした。
と言いますのは、後半の私が殆ど自己憐憫に呑まれていましたからです。「嫌な出来事も多く…」辺りからの私の文を読むのは目風様にはさぞ気持ちの悪い事だったのではないかと思っています。』
そういうのはそうでもないんだよね。
気持ちの悪いってのはね、なんだろうね。
『私はあんな風に他人に泣きごとを吐いたり、自己憐憫から派生するニセ慈悲心に浸ったりする様な人間が嫌いで仕方ないのですが、何と私もそうでした(赤面)』
そうなの?
『自己憐憫が自分の中にあるのは分かっていましたが、今回の様な恥ずかしい出来事が起こらないと、後回しと言いいますか私は中々リアルな問題として焦点を当てない様です。
虚空蔵55様が主導されていた頃から、こちらに質問を書いているとたまにエゴのブレーキが効かなくなる事があり、そのまま書いて勝手にスッキリして質問するのを止めたり、自ずとボツにする冷静さは持っているつもりだったのですが、今回は送信ボタンを押した瞬間に、「川口孝は伏せ字にして下さい」と書かなかった事より、しまった!と思いながらそちらへ飛び去ったメールを茫然と見送っていた様な、そんな状態でしたので申し訳ありませんでした。自己憐憫との同一化はあれで最後にしたいと思います。』
うん、自己憐憫っていうほどじゃなくて。あのね、送信して「しまった」って思うのが自己憐憫よ。うん。(※文章の内容よりも送った後に「しまった」と思ってしまうのが自己憐憫)
もうやっちゃったもんはしょうがないんだから。あるいは書いたものはしょうがないから、送っちゃえばいいんだよ。それをどう取るかはこっちの勝手だから。
それを自分で判断しても。自分の思いを書いたわけでしょ。で、それをもう、もちろん自分でちゃんと判断しなきゃいけないんだけども。
垂れ流しで送ってもらうのも嫌だけども。
なんて言うんだろう。送ってしまったものは、もういいんで、しょうがないんだよね。それは人生と同じで、みんな同じでしょ。言ってて、あんなことあの人に言っちゃったとか、こんな風にやっちゃったとか、あんなつもりじゃなかったのになあって。いくらでもあると思うんですよ。
で、それはもうお互い様で。うーん、それを許してくれるか許してくれないかってのは、相手のまた問題だし。
引きずらないことだよね。自分のやったこと、言ったこと、思いをね。
で、もし、しまったなと思ったら、反省して、次からやらないようにしようと思えばいいだけで。
それをね、なんてかグジグジ思わない方がいいよね。とにかくね。
(※言ってしまったことに後悔をしても一度放った言葉をどう受け取るかは相手の問題)
(※自分のやったこと・言ったことは引きずらない。もし反省があるのなら次からやらなければいい話)
あと、そうか。たまに私が怒られることがあって、魔女に怒られることがあって、たまに。
昔ね、 結構やっぱ見えちゃうんですね、古川くんってのは。これは古川くん時代の話だけど。
「それはやめといた方がいいよ」って、こう言いかけるわけですよ。なんでかっつうとこうこうこうで、こうなんだよってあるんだけども、それは言っちゃいけないことなんですよ、魔女には。
魔女は気がつくまでは言っちゃいけないってのが、やっぱあって。
だから、止めてあげたいから言いかけるんだけど。あ、しまった。なんでもないっていうと怒るんですよね、魔女は。「言いかけといて何よ」って形で。
そう言うこと、よくある、あったんだけども。でも、言っちゃってもよかったのかなと思うんだけど。ダメだ、やっぱね、ダメって言われるわ。
だから、よく考えて行動すること、喋ることだよね。やっぱね。
うん、 なるほどね、古川くんってのはやっぱ。
やっぱ、相手をよくしてあげたいってのはやっぱある、あったみたいね、その基本的に。タイミングってのはやっぱあるわけですよ。その相手がそれを受け入れるタイミングとか、そういうのあるわけですから。
いい時にいいことを語る、あるいは為す・する、ということですね。それは、自分がどういう風に今生きてるか、自分を俯瞰して、冷静によく判断して行っていきましょうということです。